English
morgan fisher
profile
1950年1月1日、イギリス、ロンドン生れ

1968−72年
ラブ・アフェアー(The Love Affair)(全英No.1ヒット「エバーラスティング・ラブ(Everlasting Love)」)と活動し、ハモンドオルガンを弾く。クラシカル・ロック・バンド、「モーガン&ティム・スタッフェル(Morgan with Tim Staffell)」を結成(スタッフェルは、クイーンのオリジナルメンバーで、ボーカリスト)。世界的に有名なフュージョン・ギタリストのアラン・ホールズワース(Allan Holdsworth)のデビュー・アルバムを共同プロデュース。

1973−77年
ロンドンのインスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アート(Institute of Contemporary Art)のため、電子音楽作品を制作。デヴィッド・ボウイがプロデュース担当の、モット・ザ・フープルに参加。全米ツアーを行い、ブロードウェイ(ユリス・シアター(Uris Theatre))で1週間公演をした初のロックバンドとなる。「オール・ザ・ヤング・デュード(All the Young Dudes)」が全英No.2ヒット。
他に数多くのトップテンヒットを放つ。ウェイン・カウンティー(Wayne County)、エレクトリック・チェアーズ(Electric Chairs)、デッド・ケネディーズ、マイク・ハリソン(Mike Harrison)(スプーキー・トゥース)など、多くのアーティストの活動にゲストとして参加。

1978−80年
ロンドンで、インディペンデント・スタジオ&レコード・レーベル、パイプ・ミュージックを立ち上げる。「スロー・ミュージック(Slow Music)」(環境音楽)、「ハイブリッド・キッズ(Hybrid Kids)」(アート・パンク)、「ミニチュアーズ」をリリース。「ミニチュアーズ」は、ロバート・フリップ、ロバート・ワイアット、マイケル・ナイマン、ギャヴィン・ブライアーズ、フライング・リザーズのメンバーら、プリテンダーズ、XTC、ペンギン・カフェ・オーケストラ、ダムド、他のアーティストが参加した、一分間の曲を51曲集めたアルバム。

1981−84年
クイーンの欧州ツアー(1982年)でキーボードを担当。その後、インド、ヨーロッパ、アメリカを旅する。

1985−88年
日本に移り住み、ハンドメイド・スタジオ(The Handmade Studio)を設立。環境音楽(「ルック・アット・ライフ(Look at Life)」、「インサイド・サティ(Inside Satie)」、「ウォーター・ミュージック(Water Music)」、「フロー・オーバーフロー(Flow Overflow)」、「ライフ・アンダー・ザ・フロアー(Life Under The Floor)」、「ピース・イン・ザ・ハート・オブ・ザ・シティ(Peace in the Heart of the City)」)のアルバムを手がける。また、アート系ビデオ、映画、テレビなどの音楽制作。

1989年
京都市1200周年記念に、平安神宮で演奏。日本人ダンサー、キサヌキ・クニコ (Kisanuki Kuniko)と活動。ニッポン・NTTギャラリで、アブストラクト・フォトの展覧会。

1990年
国際花と緑の博覧会(大阪)、天川神社、壷阪寺、神戸市立博物館で演奏。ヨーコ・オノをゲストに迎え、アルバム「エコーズ・オブ・レノン(Echoes of Lennon)」をレコーディング。

1991年
ホンダのテレビ・コマーシャルや、コム・デ・ギャルソンの東京ファッションショーに出演。日本のバンド「ディップ・イン・ザ・プール(Dip in the Pool)」(テクノ)、「テンソー(Tensaw)」(ロック)、沖縄出身のシンガー喜納昌吉らと共演。

1992年
「リラックス(Relax)」、「リフレッシュ(Refresh)」、「リチャージ(Recharge)」(「リ」シリーズ/環境ポリリズム音楽)をレコーディング。アニメーション映画「ザ・アプフェル・ランド・ストーリー(The Apfel Land Story)」のサウンドトラックを制作。細野晴臣(イエロー・マジック・オーケストラ)、ジュリー・クルーズ(Julee Cruise)(「ツイン・ピークス」オリジナルサウンドトラックのボーカリスト)、ヤスアキ・シミズ (Yasuaki Shimizu)(サくソフォン)とともに、「ツイン・ピークス」の曲を共演。東京とパリに出店している服飾会社ニコル
(Nicole)のため、ワールド・ミュージックの曲を作曲、演奏。

1993年
日本のメジャー・バンド、ブームと共演。ヤスアキ・シミズ、アスカ・カネコ (Aska Kaneko)(バイオリン)、リュー・ホン・ジン(中国:伝統楽器(横笛))、ワシス・ディオプ(Wasis Diop)(セネガル:ボーカル)らと中国ツアー。

1994年
日立インターナショナル・シンポジウム(Hitachi International Symposium)で演奏。ロンドンでの、故ミック・ロンソンに捧げられたチャリティー・コンサートで、イアン・ハンター(モット・ザ・フープル)、ロジャー・テイラー(クイーン)、ロジャー・ダルトレー(ザ・フー)、ビル・ワイマン(ローリング・ストーンズ)らと共演。第4回国際鯨類会議(International Whale and Dolphin Conference)や、東京ガス・ビルディング(Tokyo Gas Building)落成のため、作曲。「リ・バランス(Rebalance)」(「リ」シリーズの第4作目)を、ママドゥ・ドゥンビア(Mamadou Doumbia)(元サリフ・ケイタのバンドのメンバー)とレコーディング。ブームのアルバム「極東サンバ (Far East Samba)」の演奏および共同プロデュース。ブームの国内ツアーで演奏。

1995年
日本人ミュージシャン(ボーカリストのおおたか静流、バイオリニストのアスカ・カネコ)とともに、
「リ」シリーズの最初の2作品を再制作。ブームとの共演を継続。ブームのツアーの模様を本にした「ファー・イースト・ツアー・ダイアリー(Far East Tour Diary)」を執筆、出版。第2回ミック・ロンソン・メモリアル・コンサート・日本で公演。日本人アーティストのサヨコ (Sayoko)(レゲエ・シンガー)や「ホームレス・ハート(Homeless Heart)」(ロック・デュオ)とレコーディング。 CD-ROM"キャッツ・イン・ザ・サン(Cats In The Sun)」の音楽担当。

1996年
ブームとの活動(アルバム「トロピカリズム-0(Tropicalism-0)」、日本およびブラジル・ツアー)。イエローモンキー、ヒート・ウェーブ、ハイロウズなど日本のメジャーバンドや、クイーンのブライアン・メイが参加した、モット・ザ・フープルのトリビュート・アルバム「モス・ポエト・ホテル(Moth Poet Hotel)」のプロデュース。トランペッターのイサオ・オサダ (Isao Osada)やオーストラリア人のサックス奏者アンディー・ビーバン(Andy Bevan)と、アルバム「リチャージ」の再制作。ヒート・ウェーブとの公演、レコーディング。

1997年
「ミニチュアーズ2」の制作開始(「ミニチュアーズ」の続編で、60曲入り)。ミック・グロソップ(Mick Glossop)(ヴァン・モリソンのプロデューサーで、フランク・ザッパ、モット・ザ・フープル、およびブリティッシュ・ライオンズのエンジニア)が、数曲でミックスを担当。ブームと、モントルー・ジャズ・フェスティバルやMIDEMで公演。ヒート・ウェーブのアルバムで、共同作曲および共同プロデュース、演奏。ボーカリスト、ナナコ・サトウ (Nanaco Sato)と共演。「ウォーター・ミュージック」のCD再リリース。

1998年
おおたか静流のため、環境音楽のリミックスを制作。自らの曲(「エコーズ・オブ・ア・シティ・ライフ」、「フラワー・ミュージック」(環境音楽))を集めたコンピレーション・アルバムをリリース。おおたか静流、ハムザ・エル・ディン(スーダン出身の有名なミュージシャン。グレートフル・デッド、テリー・ライリー、ザ・クロノス・カルテット(The Kronos Quartet)との活動経験があり)と、アルバム「ホーム(Home)」をレコーディング。CD「インサイド・サティ」、「フロー・オーバーフロー」を再リリース。CD-ROM「ザ・スカイズ・オブ・ビエイ(The Skies of Biei)」の音楽担当。

1999年
「リミックス」(「リ」シリーズからのラジカルなリミックス)をリリース。「マイナス5」(多数のグループから派生した、REMのピーター・バックを主体とするグループ)のアルバムで演奏。ノルウェーのジャズの歌姫、カーリン・クロッグ(Karin Krog)のの曲「エアー・オン・ア・ジー・ストリング(Air on a G string)」を、環境音楽的にアレンジ。

2000年
「ミニチュアーズ2 (Miniatures 2)」をリリース。マイナス5のリミックス。

2002年
新たにアート/音楽のパフォーマンス・ユニットに参加。メンバーは、おおたか静流(ヴォイス・パフ ォーマー)、竹澤悦子(琴、三味線、笙)、ブルース・オズボーン(写真、ビデオ)、[チバ・コウゾ ウ](CG)。 日本のフォーク・シンガー、遊佐未森の曲のうち、一曲をアレンジ。 ティム・スタ ッフェルのニューアルバムで演奏。 ハンス・ヨアヒム・レデリウスとアルバムのコラボレーション を開始(ハンスは70年代、環境音楽を手がけたバンド、「クラスター」のメンバー)。

2003
東京にてジェーン・シベリーと共演。ロンドン・インスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アートにてFuton Logicと共演。明治神宮でおおたか静流と共演。東京、スーパーデラックスにてソロコンサート、ビデオプレゼンテーションを展開。東京、アップリンク・ギャラリーにてソロコンサートおよび「ミノックス・メモリアム」写真展を開催。

2004年
スーパーデラックス(東京・西麻布)にて毎月「モーガンのオルガン」と題したソロ・インプロビゼーション・ライブを開催。ライブではモーガンの写真や映像作品をフィーチャー。ゲストミュージシャンにはサム・ベネット(米国人パーカッショニスト、サウンド・アーティスト)、井野信義(日本の誇るジャズ・べーシスト)等が参加。

2005年
スーパーデラックス(東京・西麻布)でのマンスリー・ソロ・インプロビゼーション・ライブ「モーガンのオルガン」を継続。ライブ演奏はすべてレコーディングされており、今後随時リリースしていく予定。Kokoo(コクー:循環呼吸を操る尺八奏者の中村明一、超絶技巧の箏奏者の八木美知依をフィーチャー)との共演やレコーディング、さらにザ・マイナス・ファイヴともレコーディングを行う。アンビエントのパイオニア、ハンス・ヨアヒム・レデリウス(70年代に活躍した「クラスター」のメンバー)とのコラボレーション・アルバムをリリース。また、『ノヴァ・ソリス』(1972)、『シーズンズ』(1983)、『ルック・アット・ライフ』(1984)の3タイトルをリイシュー。ジャズドラマー水野オサミのアルバム「天馬」にてコラボレーション。

2006年
引き続きスーパーデラックスでのマンスリー・ソロ・インプロビゼーション・ライブ「モーガンのオルガン」を開催。ザ・マイナス・ファイヴ+ロビン・ヒッチコック来日公演にて共演。主にアメリカとヨーロッパに禅思想を広めた世界的仏教思想家、鈴木大拙のドキュメンタリー・フィルム「A ZEN LIFE - D.T. Suzuki」(制作監督マイケル・ゴールドバーグ)の音楽を担当。アンビエント/エレクトロニカの邦盤コンピレーション・アルバム3タイトルに参加。タイトル詳細はニュースページの2006年9月26日の項を参照。

2007年
この年はスーパーデラックス(東京・西麻布)での1ヶ月間にわたる「モーガンのライト・ペインティング展」で始まる。マンスリーのソロ・インプロビゼーション・ライブ「モーガンのオルガン」も引き続き開催中。また、イギリスの第一線に立つコンテンポラリーなサクソフォーン四重奏団「デルタ・サクソフォーン・カルテット」のレコーディングにソフト・マシーン(イギリスのサイケデリック/プログレッシブ・ロックバンド)の楽曲アレンジとヴォーカルで参加。

2008年
iTunesやAmazonなどで「モーガンのオルガン(Morgan's Organ)」のライブ録音のダウンロード提供をスタート。何年かかけて、録りためた音源を順次リリースしていく予定。

2009年
東京・西麻布のスーパーデラックスにて、2回目のライトペインティング展を開催。「ザ・イエロー・モンキー(The Yellow Monkey)のトリビュートアルバムでは、3曲をレコーディング。「キャラヴァン(Caravan)」のデイヴ・シンクレアが手がけた新作アルバムにはキーボードで参加。「キーボード・マガジン(Keyboard Magazine)」(日本版)で複数回にわたり、愛蔵のキーボード・コレクションの特集記事が掲載される。ロンドンのトルバドール・ギャラリーでは写真展「Backtracks & Abstracts」を企画。モット・ザ・フープル結成40周年記念イベント「MTH-MTK ("Mott the Hoople - Meet the Keyboards")」を(ブルー・ウィーヴァー、ミック・ボルトン、ジョン・フィドラーとともに)ロンドンで開催。

2010年
東京・目黒のギャラリーコスモスなどで、2回のライトペインティング展を開く。アートと音楽を融合させた初のDVD作品「The Light Painter」を自主リリース、ロサンゼルスiotaCenterの抽象映像部門でもとりあげられる。「Miniatures」ブログを開設。

2011年
Refuge Recordsより「The Great White Obi」をデジタル・リリース。東京でさらに何度かライトペインティング展を開催。10月にはカリフォルニアで写真展とコンサートを企画。坂本龍一、冨田勲らにつづき、日本シンセサイザープログラマー協会の名誉会員に。

1987年〜
アメリカン・エクスプレス、コカコーラ(アクエリアス)、コンパック・コンピューター、日本航空、JR、カネボウ化粧品、京成スカイライナー、(JAMの銀1998年)、パナソニック松下電器、マクセル、メナード化粧品、マイクロソフト、三菱、NHK、NTT、オリンパスカメラ、オンワード(服飾)、カンタス航空、リコー、ローバー(自動車)、セイコー(時計)、資生堂化粧品、ソニー、ユニシス、フォルクスワーゲン・ゴルフ... などのテレビコマーシャル音楽を担当。

フォト・クレジット(上から):サム・フィッシャー、無名の屋外アーティスト、デヴィッド・ウェッジベリー、ゲーリー・メリン、不明、ロンドンのジューリア・ベネトスタジオ、ハスイ・ミキ、ジヌシ・シン、不明、不明。

あとがき:
モーガンの曾祖父、フレデリック・モーガン(1847-1927)はよく知られた画家で、作品がロンドンのロイヤル・アカデミーで展示されたこともある。彼の作品は今でも、グリーティングカードやポスターなどでよく使われている(そのうちのいくつかはアート・リニューアル・センターのホームページでも見ることができる)。モーガンの家系には、アートに傾倒した人物は少なく、そのひとりであるフレッドに、モーガンはとても親近感を抱いている。最後の2枚の写真は、百年の時を経て撮られたものだが(モーガンの写真はCD「インサイド・サティ」ドイツ版のためにドレスアップしたもの)、二人はよく似ている。血筋をよく表しているではないか!